先日 NHKの「ヒューマニエンスクエスト」で 「”ダンス”ヒトはなぜ踊るのか」というのを放送していた。
それを観ていて思い出した。
「ゴダールのマリア」というジャン=リュック・ゴダール監督の映画があり、その映画の冒頭30分弱の「マリアの本」という ゴダール監督のパートナーであるアンヌ=マリー・ミエヴィル監督の短編映画が構成されており、私はその短編映画の中の少女が音楽にのってベランダや部屋の中で思いのままに踊るシーンが大好きだった。
その映画を観た当時、多分すでに踊っていたけれど ああでなければだめ、こうでなければだめ。
もっとこうなりたい、もっとああなりたい。 って現実は自分で自分を縛ったり、周囲からも縛られたり。
でも
その時わたしは『あぁ!』って
自分のからだの中から突き上げてくる同じような思いを感じ思いのままに踊ったあの感覚。
それはどんなジャンルを踊ってるとかじゃなくて、単なる一人のヒトとしてのこころのままの踊り。
それから少しして改めて観た時 初めの印象より感動は薄くなってしまっていたけれど
ニューマニエンスクエスト を観た後に急に思い出して もう一回観てみたら、やっぱりそう、そう!
わたしはこういうふうに おどり?たい!やっぱり。
おどる という行為なのかわからないけど。
若かったあの日、そこより少し経過してみたその日。
そしてずいぶん年齢を重ねた今のわたし。
感じ方は違うけど やっぱり 根底は変わってないんだなと思った。
YouTubeで探したらTrailerがありました。
どうぞよかったら観てみて。
このTrailerの中で青い服を着た髪の長い少女が踊りまくっています。
曲は マーラーの交響曲第9番二長調 第4楽章 アダージョ。
この少女以外の「ゴダールのマリア」の映像もありますが、少女をみて欲しい。本編では4分位踊ってますが
ここではちょっとだけ。
こころのままに。